東京2020パラリンピックで車椅子テニスで金メダルを取った国枝慎吾さん。実力はフェデラーからも「日本には国枝がいるじゃないか」認められているほどです。
国枝選手がプレーする姿、かっこよかったですよね!そんな国枝さんは、実は歩けるのでは?と話題になっています。また、車椅子生活の理由となった脊髄腫瘍は9歳から発症したとみられ、現在はどのような状況かも気になります。
国枝慎吾は歩けるのかどうか、動画で検証し、脊髄腫瘍は9歳からなのか、当時の状況や現在は克服しているかどうかを調査しお伝えします。
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【動画】国枝慎吾は歩ける?
国枝慎吾選手は現在歩けるようになっています。上の動画では17年ぶりに歩く国枝選手の様子。
歩行の結果は、14歩。
歩けるようになったというのは、日常生活やテニスのプレーが車椅子なしで行えるということではないようですが、17年間のブランクを経て歩くようになったことは相当な努力があったに違いありません。
歩けるようになったのは2010年5月
国枝慎吾さんは2010年5月、脊髄損傷者専門トレーニング事務を運営するJ-Workoutにて1年間のトレーニングを受けて歩けるようになりました。
14歩歩けた時の感想は、「階段があるレストランに行ける!」だったそうです。
この歩行は「KNOW NO LIMIT」という脊髄損傷者が歩行を披露するイベントで披露され、ニュースに大きく取り上げられ話題になり、車椅子生活を送っているたくさんの方の希望となりました。
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歩けるようになるまでのトレーニングが過酷
国枝選手はすぐに歩けるようになったわけではなく、過酷なトレーニングの末、歩けるようになりました。
まずはねじれてしまった足を元の形に戻すことから始めます。17年間も動かしていない筋肉や足の形を戻すには、激痛を伴うものだったようです。
間も動かされていない筋肉を歩けるようにするまでとなると、相当なトレーニングが必要ですが、国枝選手はもともと3万回の練習をこなすほど相当な努力家。
開始3ヶ月で車椅子から立ち、半年で1分以上立つことができたそうです!
歩けるようになろうと決めた理由は、2009年にプロの車椅子のテニスプレーヤーになった時に、「自分の足で歩く」と決断したことを有言実行するためだそうです。
これからもトレーニングを積めば、さらに歩けるようになりそうですね!
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国枝慎吾の脊髄腫瘍は9歳から
国枝慎吾選手は、脊髄損傷を起こす前はプロの野球選手を目指したいと思うほどの野球少年でした。その後、9歳(小学4年生)の時に腰痛がひどくなり検査をすると脊髄に腫瘍がみつかり摘出手術をすることに。その後、車椅子生活が始まります。
ただ、前向きな国枝選手はそのことに絶望することなく、両親も友達も車椅子に乗る前と全く変わらず接してくれたおかげで、深刻になることがなかったとか。周りの環境に恵まれていたのですね。
手術から2年後の11歳から、母親の勧めで車椅子テニスを始めます。それからどんどん才能を開花し、現在に至るわけですね。
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国枝慎吾の現在は脊髄腫瘍を克服し歩ける?
国枝選手の現在は、14歩歩けるようになったものの、車椅子生活は必須です。ですが、これまでたくさんの受賞歴やタイトルを見る限り、脊髄腫瘍からは克服したと考えてよいのではないでしょうか?
2006年にはアジア人初の世界ランキング1位になり、2007年に車椅子テニス史上初の年間グランドスラムを達成、
2009年には車椅子テニス選手初のプロ転向など、生きるレジェンドとして讃えられています。簡単な受賞歴はこちら。
・グランドスラム 車椅子部門 男子歴代最多の45回優勝
・2008年 シングルス金メダル ダブルス銅メダル(北京リオパラリンピック)
・2012年 シングルス金メダル(ロンドンパラリンピック)
・2016年 ダブルス銅メダル(リオパラリンピック)
これだけの素晴らしい成績をこれからも収め続けて、日本のパラスポーツを牽引している一人であることは間違いないですね!
この記事では、国枝慎吾は歩けるのかどうか、動画で検証し、脊髄腫瘍は9歳からなのか、当時の状況や現在は克服しているかどうかを調査しお伝えしました。
これからの活躍を応援しています!
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