土田龍空の出身小中学校!幼少期から少年野球時代のエピソードも

土田龍空さんは、近江高校時代に2021年のドラフト会議で中日ドラゴンズから3位指名を受けた注目の選手。高卒の18歳ルーキーがすでに1軍に昇格し、初ヒットを打ち活躍している様子は応援したくなりますよね!

そんな土田龍空さんがどんな土地で生まれ育ったのか、出身地や出身小学校、中学校が気になります。

また幼少期に所属した、少年野球チームや中学の湖北ボーイズ時代のエピソードから、土田龍空選手の活躍の秘訣も見つかりましたのでまとめてお伝えします。

土田龍空の出身小中学校!

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土田龍空選手の出身地は滋賀県米原市。出身の小学校は米原小学校で、中学校は米原中学校です。それぞれどんな学校だったのか見ていきますね!

出身小学校:米原小学校

米原小学校は、滋賀県米原し入江にある公立の小学校。児童数は現在448人です。最寄りの米原駅は、滋賀県で唯一新幹線が止まる駅。交通の便も良いことから、最近は児童数も増えてきているようですね。

伝統行事が大事にされている地域で、毎年10月に開催される米原曳山祭では、学校から児童が参加する「子供歌舞伎」も行われています。

出身中学校:米原中学校

米原中学校は、滋賀県米原市入江にある公立中学校です。こちらも米原駅から徒歩12分という好アクセスですね。米原小学校と同じ学区で、小学校と中学校が一緒になる生徒がほとんどのようです。

土田龍空の幼少期は?

土田龍空選手は3歳から野球を始め、幼少期は野球の練習に明け暮れていました。自宅の敷地と道路の間にあるコンクリートの壁には、無数のボール跡があり、日が暮れるまで壁当ての練習をしていたそうです。

父親が草野球をしておてよく試合についていっていたので、野球の環境は身近にありました。父親の野球仲間から始めてグラブを買ってもらうと、それから時間さえあればグラブを片手に壁にボールを投げ、跳ね返るボールをキャッチ。その繰り返しで守備の基礎を固めたのですね。

土田選手の安定感のある守備は、このころの練習が基盤となっているのですね!当時からセンスは抜群で、ショートバウンドのキャッチをさせても最初から難なくこなしたとか。難しいステップもその日のうちに覚えようと努力し、部屋にいる時もほとんどボールから手を離さなかったそうです。

さすが注目される選手、幼少期の頃から野球に対する姿勢が違いますね。

土田龍空の少年野球時代のエピソード

土田龍空さんは小学校2年生の時に米原野球スポーツ少年団で野球を始め、中学校時代は公式の湖北ボーイズに所属します。

それぞれのエピソードをお伝えしますね。

米原野球スポーツ少年団時代のエピソード

3歳の頃から野球を始めて、壁当ての練習で基礎がしっかり身についていた土田選手は、米原野球スポーツ少年団に入団した2年生の時すでに4年生チームと一緒に練習するなど同級生の中でも目立った存在でした。

現在ショートやセカンドを務める土だっ選手ですが、入団当時はサード、5年生からはキャッチャーも経験します。

負けず嫌いでやんちゃな土田龍空さんはこのころは外で遊びまわりいつも傷が絶えない元気っ子だっとようで、とにかく野球が大好き。遊びの延長感覚で野球をしていました。

湖北ボーイズ時代のエピソード

中学になると、父親の友人が代表をしている湖北ボーイズに入団。入団当時はピッチャーやキャッチャーを任され、守備よりも打撃が光る選手でした。

このころも上級生チームと混じってプレーしており、能力の高さが伺えます。実は現在のポジションのショートを始めたのは、中学2年生から。最初は苦戦していましたが、先輩のプレーを見て学びながら持ち前の負けず嫌いと努力ですぐに上達します。

当時からコミュニケーション能力が高く、先輩に好かれるキャラだったようですね!

このころも幼少期と変わらず、絶えずグラブを触っているか、バットを握っていて、上達のスピードが早くすぐにチームで1番の選手になりました。

この記事では、土田龍空の出身小中学校や、幼少期から少年野球時代のエピソードについてお伝えしました。土田選手の活躍の秘訣がわかりましたね!

これからも応援しています!