
『深イイ話』で話題の田村有樹子さん。
キングコング西野亮廣さんの敏腕マネジャーとして今は会員数第2位のオンラインサロンを運営したり、
億単位のお金を動かしたりと只者じゃないようです!
そんな田村さんは、過去にはいじめ克服からスナックのママ、プロデューサーなど、、
いろんな経歴をお持ちだということがわかりました!!
この記事では、いじめ克服からプロデューサー、敏腕マネジャーになるまで、大学はどこ?など、田村有樹子の経歴をまとめてお伝えします!
田村有樹子のの経歴まとめ①プロフィール

田村有樹子(40歳)
1970年7月24日生まれ
京都府京都市出身
同志社大学卒業
負けず嫌い
元テレビプロデューサー、スナックのママ
今はキングコングの西野亮廣さんの敏腕マネジャーとして活躍しています。『自慢の右腕』と呼ばれるほど、西野さんに信頼されているようです!
とっても仕事ができる方なのでしょう!
田村有樹子の経歴まとめ②イジメ克服から敏腕マネジャーになるまで
今まで数々の経験をされてきた田村有樹子さんですが、いったいどんな経験をされてきたのでしょうか。幼少期からいじめ克服、同志社大学時代からからプロデューサーになるまでをまとめていきたいと思います!

幼少期:いじめを受ける
子供の頃から頭が良く、明るく元気な性格だったそうですが、
クラスのリーダー格の女子より良い成績を取ってしまったことが原因でイジメにあいます。
『家を放火するぞ』と脅されるほどひどいイジメで、ストレスで食欲も失うほど辛い経験だったそう。
このころの経験って大人になっても尾を引いたりするよね。
その後私立中学を受験し合格、ただ人間不信で嫌われるのが怖く、八方美人になってしまい友達は増えたものの全然楽しくなかったそうです。
本音を出せないのはストレスもたまりますよね。
高校時代:テニスにのめり込む

転機が訪れたのは高校時代のテニス部での経験。
自分が一番下手だと感じ、部活とは別にテニススクールに通います。
テニスのコーチが超絶タイプだったこともあり?
週4で19時から23時まで練習しかなり上達。
また、上達したので通っていたテニススクールでコーチに新コースを作るよう頼んだところ、コーチが諦め半分で4人集めないと作れないと言われても
他校の生徒を試合会場でスカウトし4人を集めてくるほど、ガッツがすごい!!

普通だったらもういいや、、と諦めて辞めてしまいそうな場面でも田村有樹子さんは絶対に諦めないのです。
一度決めたことはやり遂げる。かっこいい!!
この経験が、田村さんの原点になっています。
自分が頑張っていれば、そこに人は集まってくれるんだってことを体験できて、それがいまの私の原点になってますね」
引用:note田村 有樹子 「僕らを導く自由の女神」
同志社時代:仕事ができる人になると決める

一浪して、偏差値36から毎日15時間の勉強の末、同志社大学に入学した田村有樹子さんは、ここでもテニスに打ち込みます。
仕事に生きるということを決めたのもこの時期のようです。
とにかく仕事ができる人になろうと。結果さえ出せば人は寄ってきてくれるし、仕事は顔じゃないなと思ったんですよ。女としての幸せは、美人には負けるかもしれんけど、美人で仕事できんやつとブスで仕事できるやつ、どっちが仕事で需要あんねんって言ったら、ブスで仕事できるやつやなと思って
引用:note田村 有樹子 「僕らを導く自由の女神」
将来をここまで考えているなんて。20台前半ですよ。なんかもう言葉にできないほど強い意志を感じますね。
プロデューサー時代:週150時間労働?!
たくさん内定をもらっている中で仕事ができるおんなになりたい。と思った田村有樹子さんが選んだのは、一番しんどい仕事と思ったテレビ業界のAD。
『所さん&おすぎの偉大なるトホホ人物伝』のAD に抜擢され、週150時間労働で労働基準法の縛りが。

「もっと働きたいのに労働基準法ってなんなん?そんなんでやる気潰されるんやったら辞めるわ」
引用:note田村 有樹子 「僕らを導く自由の女神」
え!そこでそう思うの?筆者だったら、労働基準法に違反だー!休ませろー!と言わんばかりに抗議しそうなもんですが。
やっぱり田村有樹子さん。違いますね、、。
24歳で会社を独立し映像製作会社を立ち上げ、番組プロデューサーとして活躍するように。

2014年から担当した『ガリゲル』という番組で西野さんと出会い、良き仕事仲間、飲み仲間としての関係が始まります。
田村有樹子さんはストイックでありながらとても優しい性格の方なのだと勝手に思っていますが、それが災い、
自分より他人を優先してしまい36歳直前で立ち上げた会社を辞めてしまいます。
スナックママ時代:ノンアルコールのママ

会社を辞め、お酒が嫌いにも関わらず、スナックのママに向いていると言われたことがきっかけで雇われママとして働くことに。
「一私、中途半端が嫌なんすよ。負けず嫌い 何としてでも向いてるように持って行きたかったからトークもそうだけど、数字もホントこだわった」
引用:毎日hideブログ「否定の肯定 肯定の否定」
スナックは2年で辞めましたが、もちろんプロデューサー時代の経験を生かして大活躍です。
ここで『世の中お金の動き』を知った田村有樹子さんは、
リベンジ成人式で億単位のお金を動かしたり、クラウドファンディングで2500万を集める並外れのスキルを習得します。
リベンジ成人式:実は実行に移したのは田村さん!

2018年1月8日、『はれの日株式会社』が突然倒産し、成人式に振袖を着られない成人が続出。
そこから西野さんが単独で被害者を対象にリベンジ成人式を開催し船上ディナーまでプレゼント。それを実行したのは田村有樹子さんなんです。
成人式の一件に関しては田村Pから「なんとかしてあげたい」という連絡があって、僕は彼女に最大級の恩恵があって、彼女が抱えているストレスは全て解消したいので(それだけの関係を築いてあるので)、アクションを起こした動機として、まず真っ先にあったのは「田村さんが、そこまで言うなら」でした。
引用:西野亮廣ブログ
総額1億円と言われた費用ですが、全て西野亮廣さんが支払っています。
この資金は、新仮想通貨『レターポット』の収益からまかなわれたそう。
実行力がすごいですね。思いやりがあり、人に対して深い愛情をかけられる方だからこそ、実現したのですね!!
西野亮廣のマネジャーに:自慢の右腕

実は田村有樹子さんは、西野さんがスタッフに声かけした際に2回断っています。
それは、西野亮廣さんの仕事に対しての姿勢が関係しています。
とにかく、起きている間、ず〜っと仕事してるんです。そして、基本、寝ないです。
20歳の頃からこの調子で、これまで僕のペースに合わせられた人なんて、一人もいなかった。
田村さんは、そんな僕に唯一食らいついてくれる人です。
スピード感もある。引用:西野亮廣ブログ
ですが、3回目で覚悟を決めます。
私自身も愛や想いは時にスキルや能力を凌駕する
引用:田村有樹子note
と思っていて、私がそこさえブレなければ、
もし、能力的に「コイツ、ダメだ」とクビになっても
関係性までは壊れないんじゃないかと思えた。
これがきっかけで田村有樹子さんは西野亮廣のマネジャーに!!
西野亮廣のマネジャーのしての活動:実績がすごい!

田村有樹子さんの凄腕ぶりはここまででよくわかったと思いますが、
・クラウドファンディングで2500万円を集める
・『えんとつ町のプペル』広告で六本木ヒルズジャックのために1300万円集める
など、これだけ見ても凄い実績です、、!
どうやって資金を集めているの?と、気になりますよね。
それは、田村有樹子さんが、西野亮廣さんの活動資金を集めるためと始めたオンラインサロンでのクラウドファンディングからなのです。
オンラインサロンを運営:会員数は2000人以上!
田村有樹子さんのオンラインサロンはこちら。

会費は1000円です。田村さんの思考が学べるということで、現在会員数が増加しているとのこと!
メディアに出る機会も多くなるので、これからどんどん人気が出そうです!
有名なタレントに続き、西野亮廣さんに次ぐ会員数2位という実績!!芸能人ではない方が、ここまでのサロンを立ち上げるのはとてもすごいことですよね!
ここまで人が集まる理由は、スキルももちろんですが
いつも愛を持って他人に接し、全力で仕事をする姿勢があるからこそなのだと思います!!
今後の活躍に大注目ですね!!